2005年06月03日

キングダム・オブ・ヘブン  罪と許し

なんか書き足りなかったので、再度。

エルサレムにキングダム・オブ・ヘブンを築こうと思うのは、皆が自分の罪への許しを求めていたからなのか。

バリアンの父親ゴッドフリーは十字軍の騎士として戦ってきた。
彼は過去にバリアンの母親を愛しながら結果捨てた過去があり、皆がエルサレムを目指す中、彼はバリアンに会いに来る。
自分が父親だと告白し息子に許しを請う為に。
バリアンが彼を父親として受け入れた時、彼は許されたのだろうか?
死の間際、彼はバリアンを騎士とし、騎士の誓いを授ける。そして彼の想いも。
最後、司祭に「最後の懺悔は息子ではなく神に」と促されるが、彼は息絶える・・・

バリアンは妻を亡くした。彼の妻は子供の死に耐え切れずに自ら死を選んだのだ。
そのいきさつは描かれてはいないが、自殺した彼女は司祭の命令によって首をはねて埋葬される。
自殺者は救済されないのがキリスト教の教えだから。
その事実を告げた司祭を、バリアンは殺してしまう。
彼はエルサレムへ行くことを決断する。
キングダム・オブ・ヘブンだというエルサレムへ行けば許しがあるのか。
彼の妻は許しを得、救済されるのか。
自分には許しはあるのか。
エルサレムへたどり着き、ゴルゴダの丘まで行っても神の声は彼には語りかけては来ない。
それでも彼は、妻の十字架をゴルゴダの丘へ埋め、君は心の中にいる、と丘を後にする。
ゴッドフリーの収めた土地で、そこに住む人々の為に働く彼は生き生きしている。
エルサレムの為に戦い人々を守った彼は、彼のキングダム・オブ・ヘブンを見つけたのだろうか。

エルサレム王ボードワンはライ病に侵されている。彼は神に見捨てられているのか?
彼の苦しみは何故なのか?
高潔な王であり、西洋とイスラムが共存する奇跡のような国を治めながら長くは生きられない運命。
彼は自分の心と魂は自分のものだとバリアンに説く。
彼の運命をしっかりと見届けるように、仮面の下の崩れた顔を見るシビラ。


それぞれが神の道を探しながら、得たものは自分の信じた道を生きるということのような気がする。


聖地における、十字軍を背景にした話でありながら、宗教感は非常に希薄だ。むしろキリスト教は滑稽にさえ映る。
対してイスラム教信者達の一途さはどうだろう。

そもそもキリスト教にしろイスラム教にしろ、基はといえば同じだ。
同じ出来事の解釈がそれぞれ違うだけのこと。だからもちろん聖地も同じである。
共存だなんだと言っていること自体が不思議といえば不思議なのだ。
というのは歴史事情を知らない日本人の浅はかな考えではあるけど。

ボードワンとハラディンの間にはお互いを認め、尊重し、敬意を払う関係があった。
バリアンとハラディンもまた、お互いを認めあう。
ハラディンはエルサレムの人々を決して傷つけないで送り出すことを自らの名の下に約束し、
バリアンはエルサレムに向かうハラディンに、「アッサラーム」(神の平和があなたの元にありますように)と別れを告げる。

今でもエルサレムに神の平和が訪れないのは悲しいことだ。


この際、何でも書くけどバリアンとシビラの禁断の恋(?)に関してはどうもピンとこなかった。
彼女の生き方というのが少し解り辛かった。
これって、カットシーンに結構重要な部分があったのではないかと思うのだが。
でもエヴァ・グリーンが出てくると画面に独特の雰囲気が漂うのが魅力的だなーと見入ってしまった。

ま、一回見ただけだからね。理解できてない部分が沢山在るんだと思う。

この記事へのコメント
もう、補足のレビューが挙げられているんですね。いずれ、2回目鑑賞後の感想もお待ちしております。私もカットした部分を見ないと納得できないところがいくつかあるような気がしています。
Posted by momo at 2005年06月03日 22:42
ディレクターズカットが楽しみですね。
ってその前に劇場できちんと見なくては。

どうやら吹替え版を上映している所もあるらしいですね。字幕ではよく解らなかったけど吹替え版は感動した、という意見があったのでちょっと興味が・・・
私のいつも行く所は字幕のみなんですけどね。
Posted by ruru at 2005年06月03日 23:51
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