2005年08月22日

The Celts 幻の民ケルト人

B0009RPD1AThe Celts 幻の民 ケルト人
ドキュメンタリー映画
ポニーキャニオン 2005-07-29



この20年前に創られたドキュメンタリーがDVD化されるのを、私は何年待ったのだろう・・・

この番組は1986年にロンドンと北アイルランドのBBCの連携で創られた。
ヨーロッパ史の闇に埋もれていたケルトを全6話で語ったドキュメンタリーだ。
日本ではその後NHK教育テレビで一度放送されたが、その後再放送の記憶はない。

この番組の音楽を担当したのは、当時まだ無名に近かったエンヤである。
エンヤはこの後、オリノコフロウでヒットを飛ばし、世界のエンヤへと羽ばたいていく。



この番組をどうしても手元に置きたかった。

いつの頃からだっただろう、中学生の頃からだと思う。私はケルトという文明に取り付かれていた。

元々古代史好きだった私は、子供の時から日本の縄文時代の文明、エジプトやギリシアの文明、そしてアンデスのインカ、マヤ文明、等に夢中になっていた。
ところが、ケルトという存在を知った時、他の物とは何か違ったものを感じたのだ。
それが何だったのか。今でもはっきりとは説明出来ないような気がする。
もしかしたら説明出来るものであって欲しくないのかもしれない。
とにかく、私の中のどこかの位置に、それはしっかりと挟まってしまった。

ケルトとは
古代ヨーロッパにおいて一大勢力を誇り、西はブリテン、東はトルコまでその足跡は残る。
ケルト語を話し、国家を作ることなく部族単位で行動し、白い肌に金の髪、宴会好きで戦争好きだった人々。

天が降って来る事以外に怖いことは一切無いと豪語し、自然を崇拝して、死んだ後は西方の海の彼方にある常若の国で永遠の休息につくと信じた人々。

文字を持つことなく、口承の叙事詩で語られた神話や物語は想像力に富み、今も残るヨーロッパの様々な物語を生み出した。

ローマを始め数々の民族に侵略され、消滅の危機に陥り、民族としては少数派としてほんの一部の地域に残るのみなのにもかかわらず、今尚ヨーロッパ文化の源流として確かに流れる文化。

森のやわらかいささやき、
海に切り立つ断崖に吹く風、
月明かりの中の吟遊詩人の歌
古代の王、戦士達、神々と妖精達、ドルイドの語る言葉

自然の神秘的な力をモチーフとしたケルト美術のすばらしさ。
躍動感溢れると同時に不思議な哀愁を漂わせるケルトの音楽。

ゲルマンとも、アングロサクソンともラテンとも違った独特な世界観
書き言葉を拒否し、自らの歴史を残さなかった為に長い間謎めいた存在であった文明・・・


ケルトは大きく分けると大陸のケルト人と島のケルト人にわけられる。
私は特に島のケルトに強く惹かれた。
島のケルトとは、ブリテン(イギリス)とアイルランドのケルト人のことだ。
ローマの侵略に最後まで抵抗し、全土を征服することを諦めたローマ人が築いたケルトの土地との境界線である砦は、今でもイングランド、ウェールズ、スコットランド、という地方の境界として残っている。
そう、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、それに加えて彼らが移住したフランスのブリターニュは、ローマやアングロサクソンの侵略をまぬがれ、ケルトの色濃く残る土地なのだ。


いつしか、私はアイルランドへ行きたいと思うようになった。

大学へ入り、アルバイトを始めた私の第一の目標は旅費を貯めることだった。
でも、その時はまだ漠然と行きたいと思っていただけだったような気がする。
ただ、何かそれに向けての行動を起こしたかったのだ。
一人暮らしだったので、旅費はなかなか貯まらず一年程が過ぎた時、このドキュメンタリーに出会った。

もちろんドキュメンタリーであるので、ドラマ性があるわけではないが、それをエンヤの音楽が補うかのように寄り添っていた。
アイルランド人であるジャーナリスト、フランク・ディレイニーの案内を中心に、いろいろな研究者の語り、ヨーロッパ全土にわたるケルトの歴史、神話、現代のケルトをドキュメントと幻想を織り交ぜて語られていた。

どこでそう思ったのかよく解らない。だが、この番組を見たことで、私の最後の決意が固まったのだ。

私はアイルランドに行かなくてはならない。



夏に稼ぐお金をつぎ込まなくてはならなかった為に、夏休みの間に旅立つのは不可能だった。
ただ冬では寒すぎる・・・
次のチャンスは1週間程度講義が休講になる秋の学園祭シーズンだ。
1週間休講だとはいえ、その前後も数回は講義を休まなくてはならなくなるので、教授の説得も必要だった。
自分も行ってみたかったらしく、単位はやるから撮った写真を見せてくれと言った英文学の教授。
航空会社は一番安かったアエロフロート。
ロシアのエアラインはやめろと真剣に言った英会話の講師もいた。

そして10月の半ば、私は一人でアイルランドへ旅立った。
初めての海外、実を言えば飛行機に乗るのも初めてだった。
結局、事前に手配したのはダブリンまでの航空券と、帰りのロンドンからの航空券、それだけ。
スケジュールも決めず、泊まる所も決めず、ただ、なぜか大丈夫だと思っていた。

ダブリンに数日滞在した後、私は西を目指した。西へ。
アイルランドの西の果てゴールウェイ。
その更に西の海に浮かぶアラン諸島へフェリーで渡る。
まさにヨーロッパの西の果て。

荒い波と強い風が吹きつける島。
人々は岩盤で出来た地面に海草を積み上げて土をつくり、作物を栽培する。
土が風で飛んでしまわないように石を積み上げ塀を作る。
そうやって積み上げた塀は起伏の無い島全体に網の目のように広がっている。
アラン諸島の海は天候が変わりやすい。アランセーターとは、元々この荒い海に漁に出る漁師が遭難した時に、身元を判別する為に使われたものだ。
だから、イギリスの本来のキルトのように家によって模様が違う。

島の先端近くに、先史時代の遺跡がある。
石の塀を乗り越え、乗り越え、よじ登りやっと到着するその遺跡は、断崖絶壁の淵に半円形に作られた石の壁が何重にもなって広がる。
ここは島の一番の高台にあるので、ここに立つと島全体が見渡すことが出来る。
遥か彼方に見える小さな村。平らな土地。
後ろを見れば、柵もなく、ただすっぱりと切り取られたような崖と暗い海。
おそるおそる覗き込むと、遥か下の方で荒れ狂う波が断崖に打ち付ける。
ここで落ちたら誰にも知られずに死ぬな・・・と思う。本当に誰もいなかったし。

荒々しい場所ではあるが、神聖な、太古からの特別な場所ということが強く感じられる場所。
そう、ケルトの黄泉の国である、常若の国(ティル・ナ・ヌグ) 喜びの野(マーグメルド) アーサー王が傷を癒すアヴァロン等はいつも西の海の彼方にあるのだ。

この遺跡にひとりでたたずみ、風に吹かれて、暗い海と西の彼方の水平線を放心したように見ていた時、私は静かに納得したような気がした。

ああ、私はこれを見に来たんだ、と。

その後私は緑の大地がなだらかに続き、羊が道を占領するようなのどかなアイルランドを気の向くまま歩き回った。違う町へ着く度にB&B探しから始まる日々。
そしてダブリンに戻り、ロンドンへ飛び、最後の数日を過ごした。

ロンドンで最後に見たものは、
テムズ川沿いに立つ、ケルトのイケニ族の女王ボーディカの像。
彼女はブリテンに侵略の手を伸ばして来たローマのカエサルに最後まで抵抗を続け、
彼女が反乱に失敗した後、ブリテン諸島はウェールズとスコットランド、アイルランドを除いてローマの支配下に入ったのだ。


私が社会へ出る前の最後の締めくくりはそういう約1ヶ月の旅だった。

私が学生生活を中断してまでもどうしても行きたかった場所。
そんな場所へ本当に行く事が出来た最後の後押しときっかけになったのが、この番組だったのだ。




↓このドキュメンタリーで使われたエンヤの曲のアルバムはこれ。
B000002MSMCelts
Enya



posted by ruru at 13:02| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画いろいろ... | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Let me sail, let me sail....
エンヤは大好きです。イギリスへ行く前に良く聞いてイメージを膨らませていました。
ケルトについては私も興味持った時期があり、図書館で本を借りて読みました。アイルランドには行きませんでしたが、同系の文化が残るコーンウォールに行きました。(遺跡は見ませんでしたが、上記に似た風景がありました。)だから、あの緑の島はいまも私の憧れの地、なのです。
もう一度イギリスへ舞い戻り、島へ渡りたいですね。しかし、アエロフロートとは!客室乗務員が美形であるとは聞きましたが、その当時のイメージは「パキスタン航空で行く」ような感じがあったと思います。
ruruさん、いい旅をなさったんですね。多感な時期の旅や経験は何物にも変えがたい、心の宝石のようなものだと思います。それが子供の頃からの夢ならなおさらのこと。私は今なら出来ると思うのですが、若い頃は消極的で怖がりで安全志向でした。もったいないことをしました。
10月には「リバーダンス」がまた来ますね。2度目ですが、行くようにしています。
良いお話をありがとう!
Posted by emily at 2005年08月23日 00:49
>アエロフロート
客室乗務員は太ったおばちゃんばかりでした・・・
観光バスが羽着けて飛んでるみたいでシュールな体験でしたよ。(今は違うと思うけど)
産まれて始めて乗った飛行機がそれですから、その後どんなボロい飛行機乗っても平気です(笑)

確かに、この旅は私の心の宝物になっています。
なにかに導かれるように、ある場所へ旅に出ることってあるものですね。
あ、だから「未知との遭遇」の映画が好きなのかな?

アイルランドはおすすめですよ、田舎だけど。
次回イギリスに行かれる時はぜひ足をのばしてみてください。
Posted by ruru at 2005年08月23日 17:55
連投でごめんなさい。
何かに突き動かされるように旅をする・・なんて若いときにしかなかなか出来ないですね。
いい思い出ですね〜。
最近スコットランド史や英国史にやっと手を出し始めていい加減な知識だったんだなぁ・・と痛感してます。

友人に勧められた「CELTIC CIRCLE」というCDがなかなかよくって聴きこんでおります。
「タイタニック」でも移民たちが踊っているときの音楽が印象的でした。何があろうと音楽は生き続けていくところが魅力です。
Posted by momo momo at 2005年08月24日 01:31
>momoさん、連投歓迎ですよー。

アイリッシュミュージック、最近本当にメジャーになりましたね。
昔は友人に聞かせると、「何?この民俗音楽」と言われたもんですが。

>「タイタニック」でも移民たちが踊っているときの音楽
アイルランドのパブでのライブでは、フォークとスプーンも立派な楽器になるんですよ。
あれは楽しかった。
Posted by ruru at 2005年08月24日 09:17
私がケルトに興味を持ったのはエンヤがきっかけでした。
そこで、「幻の民・ケルト人」全部見ました。
エンヤの故郷であるアイルランド北西部のドニゴール地方は、
ケルトの古代からの伝統文化が他民族の征服を逃れて今も受け継がれている土地です。
「キリスト教の礼拝」とは言いながらも、純粋なそれではなく、
土着の多神教の神々への祈りもちゃんと行われていました。
また、ケルトの伝承物語の採集者は、
ドニゴール地方で語り部の話を録音して書き取りました。

このDVDの特典を見て初めて分かったことですが、
"Na Laetha Geal M'oige"は、二度と戻れない子供時代の追憶を歌ったもの、
"On Your Shore"は、海辺の墓に眠る祖父母の思い出を歌ったものでした。
Posted by WildChild at 2005年09月06日 20:42
WildChildさん、こんにちは。

WildChildさんはEnyaのファンなのですね。私は一番好きなアルバムはやっぱり「Water Mark]です。
Enyaはゲール語の歌をよく歌っていますよね。
アイルランド北西部では、まだ通常の会話がゲール語で交わされている所が結構ありました。
Posted by ruru at 2005年09月07日 19:50
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/6122172

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。