2005年10月20日

Modern love

デヴィッド・ボウイの80年代前半のヒット曲、「モダンラヴ」
アルバム「レッツダンス」に収められている曲だが、この歌詞の意味を、以前私は気に留めて考えてみる事がなかった。
今考えると不思議な気がする。
でも改めて歌詞を聴いてみて、ちょっと以前思っていたような曲とは違うような気がして来た。


「Let's Dance」のアルバムが出た時、昔からのボウイのファンは今までのスタンスとの違いに拒否反応をしめした。
そして今までボウイを知らなかった人や、敬遠していた人達には初めて認知されることとなった。
どちらにしても彼のアルバムで一番認知度が高く、一番売れたアルバムである。

このアルバムをプロデュースしたのはナイル・ロジャース。彼はボウイから「売れるアルバムを創りたい」と依頼されたそうだ。
有名になる事には興味はあっても、売れる事には全く無頓着だったボウイが売れることを目指したということには、それなりにいろいろ切迫した切実な事情があったのであろうが、一時の気の迷いでちょっと名実共のスーパースター生活に興味を示したというのも本当の所のようだ。
拒否反応を示したファンからは、今でもナイル・ロジャースはクソミソに言われているのだが、私は彼に罪はないと思う。
彼は依頼されたとおり、売れるようにアルバムをプロデュースした訳であり、それは成功したのだ。
ただ、依頼した張本人であるボウイは、あまりに売れすぎて困惑し(彼曰く、ホットケーキのように売れ続けて恥ずかしかった)やけっぱちになってその後遺症に苦しんだらしい。

まったくもって器用なんだか、不器用なんだか、よくわからん人である。

今になって聴いて解る様な気がするのは、このアルバムでのヒット曲「レッツダンス」「チャイナ・ガール」「モダンラヴ」どれをとってもそうだが、ボウイの曲が元々持っているとっつきにくさや難解さ、カルト的な感じを、曲のアレンジや80年代的な音使い、リズム等で徹底的にカバーして、ドラムが叩き出すビートに乗せて聞かせてしまう、ということ。
反対に言えば、彼の曲の本質が解らなくてもノリノリで聴けてしまう訳だ。

歌詞をよく読み、彼自ら監督として参加したミュージッククリップを見ると、とても真摯で痛烈なメッセージが垣間見える曲であることがわかる。
「レッツダンス」のクリップで描かれるのは、赤い靴をキーワードに資本主義の弊害としての商業主義的な世界の未来に対してアイデンティティを保とうとするアボリジニのカップルの姿だ。曲を聴いただけでは想像もできない映像ストーリーだ。
「チャイナ・ガール」の方は、ボウイと中国娘のラブラブ映像の合間に、アメリカが中国に与える文化的影響や両国の関係なんかが織り交ぜられる。

70年代前半に現代社会を未来というフィルターを通して表現し、後半に人の内面というフィルターを通して表現した彼は、80年代に入り現代社会を直視したように見える。

ところが、「モダンラヴ」のミュージッククリップは、ライブ映像を収録しただけのものだった。
それもあって、以前の私はこの曲についてだけは深く考える事もなく、ただかっこええな〜と見とれていただけだったのだ。
お恥ずかしい事に、歌詞を聞き違えてまったく勘違いしていたことも判明。

さて、本題の歌詞である。

I catch a paper boy
But things don't really change
I'm standing in the wind
But I never wave bye-bye

But I try, I try

There's no sign of life
It's just the power to charm
I'm lying in the rain
But I never wave bye-bye

But I try, I try

Never gonna fall for

Modern love - walks beside me
Modern love - walks on by
Modern love - gets me to the church on time
Church on time - terrifies me
Church on time - makes me party
Church on time - puts my trust in god and man
God and man - no confessions
God and man - no religion
God and man - don't believe in modern love

It's not really work
It's just the power to charm
I'm still standing in the wind
But I never wave bye bye

But I try, I try


新聞配達の少年を捉まえる
そんな事をしても物事は実際に変わる事は無い
僕は風に吹かれて立ちつくす
でも僕はバイバイと手を振りはしない

僕は挑みつづける

息づく気配はない
それは魅了する力
僕は雨の中横たわる
でも僕はバイバイと手を振りはしない

僕は挑みつづける

モダンラブに騙されちゃいけない

モダンラヴ 僕と並んで歩き
       近くで導いて
       僕を時間通りに教会へと連れてゆく

教会へ   僕を怖れさせ
       僕を高揚させ
       神と人との信仰を押し付ける

神と人   懺悔や告白なく(言葉で縛られる物ではない)
       信仰もなく(信条で縛られる物でもない)

モダンラヴなんかを信じちゃいけない

そんなものは実際には存在しない
ただのお守りの力
僕は風に吹かれて立ち尽くす
でも僕はバイバイと手を振りはしない

僕は挑みつづける



さて、モダンラヴとは何なのか。これがこの曲の最大の謎なのだ。
単純によくわからんけど現代的なLoveって事だと思っていた。
恥をしのんで告白すると、私の勘違いの元凶は ChurchをChangeと聴き間違えていた事だ。そしてあまり深く考えなかった。
でも、改めて歌詞を聴いてみて思った。
これって、そう単純な曲じゃないな・・・

私が感じたのは、
Modern Loveが象徴する物、それはcharch on timeで風刺されるように、主体性なく中身の無い信仰に身をゆだね、博愛という名の下に迫害が横行するような現代の信仰のあり方。
そして、信仰にかぎらずいつの間にか当然のように固定されてしまった現代の価値観や文化、そんなものに追従している姿勢。
うまく表現できないけど、そういうものをひっくるめて象徴しているような気がする。

そうして、こういう流れ自体は止められるものではない。
それを見つめる僕は風に吹かれ、雨に打たれるのみだけども、決して諦めてしまってはいけない。
と言っているのでは?

じゃあ、風に吹かれていたり、雨の中横たわっているだけなのかというと、
曲の冒頭では、次のような語りが入る

I know when to go out
And when to stay in
Get things done
僕は知ってる
いつ引き揚げるか、いつ留まるか
事を成し遂げる為に

彼はころあいを見計らっているのだ。


神と人との関係や信仰が時代によって、政治によって、世論によって都合よく解釈され、本来の意義を持ち得ているのかという疑問、これは、「神は死んだ」と言ったニーチェの思想と通じるものがある。
そういう目で見ると、ボウイの曲にはニーチェを思わせる歌詞が結構たくさんある。
彼がクリスチャンかどうかは知らないが、型にはまった信仰を拒否していることは確かだと思う。

先日購入したDVDの隠し映像の中に、彼の73年のTVでのインタビュー映像があった。
「神を信じているか」(ロックスターにそんな事聞くかー?イギリスやな)
と聞かれた彼の応えは
「何らかのパワーの存在は信じるが、それに名前を付けたくない」

かなり共感してしまった。


ということで、モダンラヴについて言いたかったのは、もしかしたら本来この曲はあんなノリのよい曲調で踊りながら歌われる歌ではなく、聞くほうも、キャーボウイーなどと興奮しながら聞く曲じゃなかったんじゃないのか、という事なのだ。
ボウイの本心は解らないが、自分が作った曲がこうなってしまった事に何だかなーと半分白けながら歌っていたのかもしれない。

でも変人ぶりは成りを潜めていてかっこよかったけどね。




posted by ruru at 04:24| Comment(11) | TrackBack(3) | デヴィッド・ボウイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ふ、深い!
ただお洒落でカッコイイ曲にしか思っていなかったあの曲が、実はこんなメッセージが込められていたとは…!

ちょっと前に自分の日記にも書いたのですが、あるアメリカ人と話をして、信仰に対する姿勢がまるで違うことに驚きました。
日本人はどちらかと言うと神を「感じる」と思うんですね。でも彼らは自分の意思で「信じている」のです。仏門に入りたい、と日本にやってきた米国人は、「絶対的なもの」があって、それを「判で押し付けた」思想教育を受けた、と言っていました。
Posted by emily_711 at 2005年10月21日 01:23
↑すみません、途中で送ってしまいました。
イギリスではアメリカほど強く感じなかった信仰ですが、根本的には同じで、ある種の抑圧感があるのかもしれません。そうとは言え、宗教は文化であり、生活の一部であり、自分を作っている土台でもあるわけですから、逃れないものがあるのだろうな、と思います。

そうそう、カルチャークラブの「カーマは気まぐれ」がヒットした時、音楽インタビューでよく
「カーマを信じる」
と答えている英米人が沢山いました。
60年代から70年代にかけてはアーティストがよくインドを訪れていたそうですね。
その名残もあったのかな。
新国粋主義が台頭する昨今、この歌詞を今の若者は
どう受け止めるのでしょうか。




Posted by emily_711 at 2005年10月21日 01:42
す、すみません、何度も…!上の「音楽雑誌」です。

だけど、これだけの人物と音楽についてよく調べてまとめ上げましたね。尊敬いたします。
どうされてるのかな、とちょっぴり心配しておりましたが、やはりそれなりの時間が必要ですよね。
いい記事をいつもありがとうございます。

Posted by emily_711 at 2005年10月21日 02:06
>「何らかのパワーの存在は信じるが、それに名前を付けたくない」

同じく共感・・。
私には仏教の「縁」・・という漠然とした感覚の方がしっくりくるような気がします。

自分と他人・モノとの関係は縁によってなり立っている。縁があれば手に入るし、知り合ったりもする。縁が無ければ手に入らないし、知り合いにもなれない。縁は努力によって作ることも結ぶこともできるし、維持することもできる。縁は時とともに変化もするし、簡単に結果が出るものではない。縁は生き物でもある。よくも悪くもなる。

・・って感じ。よい「縁」を結ぶために「徳」をつめ・・となるんですけど。
emilyさんおっしゃるところの日本人的な「感じる」神・・。

ボウイの詩に思いを馳せたことはなかったです。
まず、リズムありき・・。声・ルックスも♪
でも、だから時を経ても記憶の中に刻み込まれているわけだし・・う〜ん、難しい。
Posted by momo momo at 2005年10月21日 07:18
>emilyさん

日本人は神を「感じる」が彼らは西欧では自らの意志で「信じている」

成る程、そういう事なんですね。
でも、本来キリスト以前、政治的なものを除いては世界中どこでも「感じる」ものを崇めるというのが原点だとは思うんですよね。キリスト以後ははっきりと信仰の形が変わったような気がします。

>ただお洒落でカッコイイ曲にしか思っていなかったあの曲が、実はこんなメッセージが込められていたとは…!
emilyさんの日記にもいろんなケースが取り上げられていて楽しく拝見してました。
ボウイの歌詞は聞き流していると訳わからんですが実は結構深い世界でした。でも押し付けがましくない所が私の肌に合ってしまっていたらしい。

>どうされてるのかな、とちょっぴり心配しておりましたが、やはりそれなりの時間が必要ですよね。いい記事をいつもありがとうございます。

心配いただいてありがとうございます!
ちょっと季節的に仕事のシーズン中で忙しかったりして、腰を落ち着けて文章にする気力がなかったんです。他所のお宅へのコメントも殆ど出来ずに〜
頭の中でつらつら考えていた物を吐き出すのって溜まり過ぎるととっ散らかってしまいますね(笑)
いい記事だなんて!だらだらとまとまり無く書き連ねた文をいつも読んでくださって感謝してますー
Posted by ruru at 2005年10月22日 14:09
>momo momoさん

仏教の「縁」っていうのも独特な感じがしますね。
自分も仏になる、という考えは神と人とが対峙している宗教には無いものなのかも。

私は神道と仏教が都合よく漠然とかつ曖昧に交じり合った日本人の感覚が結構好きだったりします。
私は基本的に無宗教ですが、自分の遺伝子が感じるのはやっぱり八百万の神々(海に神様、山に神様)かなと思っています。

名前をつけずに感じる物は感じたままに・・・

>まず、リズムありき・・。声・ルックスも♪
そう、メロディもですね。
私も本当の所はそうです。だって外国の歌は最初は意味なんてわかんないしー(笑)
だから時を経ても記憶の中に刻み込まれている歌は、後で歌詞の意味を考えたとしても、より好きになる事はあっても嫌いになる事はほとんどあり得ない。
なんだかんだ言っても好きなものは好き。ですね。

Posted by ruru at 2005年10月22日 14:29
曲調がチャンチキチャンチキと軽いので、案外好き嫌いが分かれる曲だと思うし、好きな人はノリが良いから好きだと云う人が多いんですよね。

「たとえ僕が新聞少年の配達を止めたとしても、新聞(実際に起こっている世間の流れ)を止めたり変えたりは出来ない」そんな出だしの歌詞でこの曲に引き込まれた当時を思い出します。

「実際に起こっている世間の流れを止めたり変えたりする事が出来ない事で、風(周りを流れる世間の空気や時間)の中にただ立ちつくす(何も出来ない)僕だけど、(それで良いとは思っていないので)サジ投げる事(バイバイ)はしないよ。」みたいな意味に解釈しています。
「モダン・ラヴ」と云う言葉そのものも・・・多分、言葉や表現は個人差で若干違うかも知れないけれど、ruruさんと同じような解釈だと思います。

ちゃんと書いてくれてて嬉しいな♪
トラバ相互にさせて頂きますね。
どうもアリガトウ!
Posted by Lyrique☆ at 2005年11月26日 23:44
Lyrique☆さん
コメントありがとうございます。
最近、昔の曲をアレンジを変えて歌ったりしているボウイさんですが、この曲はまだ手付かずですね。
「モダンラヴ」のライブビデオクリップは「Serious Moonlight」のDVDには入ってませんが、「Best of Bowie」には入ってますよ。
Posted by ruru at 2005年11月27日 16:38
davidが

信じちゃいけない

 といっているmodernloveとは、

近代的主体の事なんだけどな。

ニーチェが、神を殺した後に、

人間さえも殺した現代思想=post-modern

にこの頃、davidもはまってたからね〜。

ポストモダン(近代主義への懐疑)で検索すれば、たくさん出てくるパン!
Posted by boro_panda at 2008年04月18日 22:48
寝耳に水の事が聞けました!近代的主体への警鐘!
確認したところボウイのヴィデオにも、パノプティコンの独房らしきカットがあります・・・
Posted by 通りすがり at 2016年03月03日 04:23
きっとPVではモダンラブそのものをボウイが教祖(適当な例えが見つからなかったので)を演じて見せたのでしょうね。
それを観て熱狂するオーディエンスはまさにボウイが揶揄するところでPVの最後に印象的に映されています。
PVのバンドメンバーの衣装も印象的で、ボウイ自身もこの時期、流行の衣装に身を包んでいましたね。
アイロニーを含めて作った作品がまさにツボに嵌り過ぎたので心中複雑だったのかなぁとも思います。

モダンラブにすっかり毒されている私がこのカッコいいノリノリの「モダンラブ」という曲によってそのことに気付かされたのですからつくづくボウイの思う壺。

鬼籍に入ったのちもまだまだその影響力は衰えないまさに歴史的な芸術家ですね。
Posted by 思う壺 at 2017年01月01日 16:26
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