2005年10月22日

やっぱり基本と観察か・・・

先日、仕事の関係で業界で一種のカリスマ的存在の人の話を聞く機会があった。

ある種のデザイナーなのだが、その人の創るものは、色使いがとにかくすばらしく魅力的で大好きなのだ。
話を聞いていて、とても刺激を受けたのが、何事も自分の物にする為にはとにかく観察をすること。
絵画にしても、良いと言われている作品や自分が好きだなと思った作品は、それがどうして良いのか、好きなのかをとことんまで観察、分析してみる。
構図、配置、色使い、色の出し方、タッチetc......

最初は真似する事も大事であり、海外のショーではアイデアはどんどん盗む場でもある。出展する側もそれを拒んだりはしない。

私は美術鑑賞は感覚的に好き、嫌いで観てしまって全く問題ないと思っているのだが、
例えばそれらから自分の表現手法として何かを得たいと思うのならば徹底的に観察、分析せよという事だと思う。もちろん、そうする事により違う興味もどんどん沸いてくるような気もする。

それと同時に、小手先の手法を凝ってみても多分それ程意味があることではなくって、基本の上に立つ物こそがやはり効果をあげるには大事なんだろうなと改めて思った。
だから、例えばデザインが関係するものであればデッサンの訓練や構図や色彩の理論、そういうものが必須。

もちろん、そんな事は今までも解り切っている事ではあるのだけども、私のように美術学校出でもなく、そういった訓練を積んだ事なく自力で勉強しながらやっている身にとっては、どうしても付け焼刃的なものになる場合も多々あるし、創っている物が完成品として固定され辛い物でもあるので、その変化の方の知識を積む必要性やその兼ね合いの手法やらで、結局日々の仕事に流されておろそかになってしまっている事に気付くのだ。

私は芸術やライフスタイルは感じるものでありたいと思っている。
でも、理屈をこねて分析する楽しさも知っている。

「感じる」ことと「分析」すること。
この相反すると同時に切っても切れない関係の間で、いつも右往左往しているような気がする・・・




posted by ruru at 16:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>基本と観察
同感です。カリスマ先生のセミナーに参加した時同じように思いました。どんな分野であれ、道を究める術は基本的に変わらないのですね。

>そんな事は今までも解り切っている事ではあるのだけども…
>結局日々の仕事に流されておろそかになってしまっている事に気付く
アイテテテ、そうですね、そう言う事多々あります。うう、反省。

>「感じる」ことと「分析」すること。
う〜ん、分析することは謎解きをするようで面白いんですけど、分かってしまうとそれだけのような。それに、解説は出来ても、果たしてそれで本当に理解したのかどうか…。「分析」して「解説」することと「理解」することとはまた別物のような気もします。意外と「感じる」ことが出来た場合の方が、説明できなくても深く理解している時もあるような。(例えば異文化について、その土地に立ってみると、理屈もなく理解できるような。)
両方出来ればいいんですけどねぇ。

いや〜、でもカリスマさんは凄いですよね。
Posted by at 2005年10月23日 00:52
ありゃ?名前が消えてる。いつもの私です。
Posted by emily_711 at 2005年10月23日 00:53
>どんな分野であれ、道を究める術は基本的に変わらないのですね。
確かに、分野が違っても同じことなんでしょうね。

>例えば異文化について、その土地に立ってみると、理屈もなく理解できるような。
あーこれ、同感ですー。

>分析することは謎解きをするようで面白いんですけど、分かってしまうとそれだけのような
うんうん、分析したくない場合もある。
でも分析した事で謎が謎を呼び、ドツボにはまる場合も。
どちらにしても、理解は自分の理解でしかあり得ませんからねえ。それを解説する難しさといったら!

カリスマさんはやはりカリスマたる所以がありますね。話に説得力があるもの。
Posted by ruru at 2005年10月25日 01:39
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。